市指定 池田鴨之介の墓
更新日:2017年12月11日
池田鴨之介の墓(いけだかものすけのはか)
種別
史跡
指定年月日
平成3年5月14日
所在地
久喜市栗橋東3丁目14番14号
所有者(管理者)
顕正寺
概要
池田鴨之介(鴨之助)は、『新編武蔵風土記稿』によれば、並木五郎平と共に、幕府に願い出て、慶長年間(1596~1615)に、下総国の栗橋村(現茨城県猿島郡五霞町元栗橋)より村民を引連れ、後の栗橋宿となる上河辺新田を開墾しました。鴨之介は慶安元年(1648)12月9日に没し、法名を「光明院釈常薫」といいます。
池田家は、江戸時代初代鴨之介の子、與四右衛門よりその名を世襲し、代々栗橋宿の本陣役を務めました。
池田鴨之介の墓
参考文献
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