市指定 並木五郎平の墓
更新日:2024年2月22日
並木五郎平の墓(なみきごろべいのはか)
種別
史跡
指定年月日
昭和53年3月29日
所在地
久喜市栗橋東3丁目7番24号
所有者(管理者)
深廣寺
概要
並木五郎平(五郎兵衛とも)は、『新編武藏風土記稿』によれば、池田鴨之介と共に、幕府に願い出て、慶長年間(1596~1615)に、下総国の栗橋村(現茨城県猿島郡五霞町元栗橋)より村民を引連れ、後の栗橋宿となる上河辺新田を開墾しました。
また、深廣寺の開基となり、山内の「六角名号塔」の建立に協力し、明暦元年(1655)11月18日に没しました。法名を「梅香院光盛」といいます。
並木家の初代五郎平は、幸手城が関宿城の小笠原氏に攻め落とされた時、身を隠していた幸手城主一色直朝の子輝季を当地「萬屋(並木家)」にて捕まえたという逸話があります。
また、その後子孫は宿名主を務めましたが、あるとき大洪水による飢えから人々を救おうとして、御用米を村民に分け与え、その罰により所払いをうけて小右衛門に移り住んだといわれています。
並木五郎平の墓
参考文献
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