第142回 手打ちうどん―特別な日に食べられる郷土食―
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
昭和中頃まで、麦は久喜市の主要な農作物であり、各家庭でもよく食べられていました。その中でも、農家で栽培・収穫された小麦を使った手打ちうどんは、年中行事やお祭りなどの特別な日にも好んで食べられていました。現在でも特別な日にうどんをふるまう習慣があります。
主に大正から昭和の久喜市の食についての聞き取り調査によると、手打ちうどんは小麦を石臼(いしうす)で挽(ひ)いて粉にするところから始めたので手間がかかり、人が集まった時のごちそうとされていました。特にお盆の料理として「朝はぼたもち、昼間はうどん、夜は米の飯、トウナス(カボチャの別名)汁よ」と広く言われ、作ったうどんは盆棚(ぼんだな)にも供えられました。他にも、お祝いなどで人を招いた際、最後に必ず手打ちうどんが出てからお開きとなりました。
これらの手打ちうどんは、コシの強さを出すために生地に少量の塩を入れて練った後に足で踏み、ゆでて水に晒(さら)した麺を、醤油味のつゆにつけて食べることが多かったといいます。夏場はシソ、ゴマ、味噌、キュウリなどを使った「冷や汁」が好まれたそうです。久喜市でこうした手打ちうどんが作られ始めた時期は定かではありませんが、石臼が一般に普及したとされる江戸時代中期以降のことと考えられます。
なお、香川県出身の郷土史家で「讃岐(さぬき)うどん」の呼び方の名付け親ともされる山田竹系(やまだちっけい)氏が、昭和47年(1972)に書いた随筆『さぬきうどん』の中で、「埼玉県の久喜から加須あたりは、古来名高いうどんどころ」と紹介されています。
現在は、外食や既成品のうどんの普及により、うどんを手打ちする機会はなかなかありませんが、これを機にご家庭で作ってみてはいかがでしょうか。
手打ちうどんの例
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