第148回 神明神社(しんめいじんじゃ)と式内社(しきないしゃ)宮目(みやのめ)神社
更新日:2024年5月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
式内社は、10世紀前半に作成された『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』の中に記載があり、当時の朝廷から官社(かんしゃ)として認識されていた神社のことです。武蔵国埼玉郡の式内社は、前玉(さきたま)神社二座(にざ)、玉敷(たましき)神社及び宮目神社だけです。
前玉神社は現在の行田市にある前玉神社に、玉敷神社は現在の加須市にある玉敷神社にそれぞれ推定されています。一方、宮目神社は、いくつかの説があり、代表的なものとしては、前述の玉敷神社の境内(けいだい)社である宮目(みやめ)神社、宮代町にある姫宮(ひめみや)神社、そして本市菖蒲町上栢間にある神明神社等があります。古くは、天保(てんぽう)(1830~1844)の国学の四大人(したいじん)の一人とされる伴信友(ばんのぶとも)が、『神名帳考証(こうしょう)』の中で、宮目神社を栢間村神明宮(しんめいぐう)としました。
宮目神社の祭神(さいじん)は大宮売大神(おおみやのめのおおかみ)といわれていますが、現在の神明神社の祭神は、天照大神(あまてらすのおおかみ)と豊受大神(とようけのおおかみ)の二柱(ふたはしら)です。しかし、神明神社に残されている過去の棟札(むなふだ)やお札(ふだ)の版木(はんぎ)等から、かつては天照大神・豊受大神・大宮売大神の三柱(みはしら)の女神(じょしん)を祭神としていたときがあり、また「宮目神社」や「大宮売大神」と書かれた関係資料が若干数あることも調査の中でわかってきました。少なくとも、神明神社が、式内社宮目神社を由緒にしていた時代があったことは間違いありません。
平成10年(1998)に埼玉県神社庁が編さんした『埼玉の神社』でも、社伝等を引いて、現在の神明神社が、古くは宮目神社から、神明宮、神明両社(りょうしゃ)、神明神社へと、その名称や祭神を変遷させてきたことを紹介しています。
宮目神社を神明神社と断定するだけの確たる証拠はまだ見つかっておりませんが、天王山塚(てんのうやまづか)古墳をはじめとする古墳群や、神明神社周辺の遺跡から出土した古代の文字資料の存在等、古代における中央政権との関係を垣間見ることのできる市内でも数少ない地域の一つです。皆さまも、歴史の奥深い雰囲気を、現地で感じてみてはいかがですか。
宮目神社の文字のある江戸時代の棟札(菖蒲町上栢間神明神社所蔵)
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