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第14回 建長板石塔婆(けんちょういたいしとうば)

更新日:2018年7月25日

板碑(いたび)(板石塔婆)とは、鎌倉時代から安土桃山時代にかけて造られた石製の供養塔のことで、死者の追善(ついぜん)供養や、生前に死後の供養を行う逆修(ぎゃくしゅう)供養のために造られました。また、墓標として使用された事例も確認できています。
板碑は、荒川上流域の秩父郡長瀞(ながとろ)付近や、比企郡槻川(つきがわ)流域付近で産出される緑泥片岩(りょくでいへんがん)を板状に切り出し、上部を三角にしたもので、表面には種子(しゅじ)(仏を象徴する梵字(ぼんじ) )や仏の彫刻等の特徴があります。また、原材料の産出地である埼玉県は、全国最多の2万基以上の板碑が分布する地域として知られています。

市内ではこれまでに約600基の板碑が発見されています。この内、久喜北1丁目の遍照院(へんじょういん)境内に立つ市指定有形文化財「建長板石塔婆」は、市内に現存する最も古い鎌倉時代のもので、高さ112センチメートル、幅34センチメートル、厚さ7.2センチメートルの板碑です。

願文(がんもん)の一部に風化がみられますが、台の石( 沓石(くついし))にしっかり納まっており、保存状態は良好です。この板石塔婆は、頂部は山形で、その下に深い2本の線(二条線)が刻まれています。装飾の天蓋(てんがい)(仏像、棺の上にかざす衣笠(きぬがさ)型の仏具)は宝珠(ほうじゅ)、蓮華(れんげ)、瓔珞(ようらく)が丁寧に、中央には雄大な種子が力強く彫られています。種子は胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来(だいにちにょらい)を象徴し、梵字で「ア」と発音します。その下には蓮華座があり、下部には「建長七年六月日」、その右には「右志者為過去」、左には「往生□□證□□」と願文が、いずれも浅く彫られています(建長7年は1255年)。

埼玉県内、また、日本国内における最古の板碑は熊谷市須賀広(すがひろ)にある嘉禄3年(1227) 銘(めい)のもので、建長板石塔婆はその28年後に造られています。この時期に造られた板碑は、県内では100基に満たず、比較的珍しいものといえます。

この板碑を建立した人物について詳しいことは分かりませんが、鎌倉時代この地域の領主であった武士などの有力者の存在を想定することができます。また、種子や願文からは建立者が真言密教の影響を強く受けた人物で、その近親者の「往生」を願い供養のため板碑を建立したことが伺えます。

写真 建長板石塔婆
建長板石塔婆

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