第48回 中世の祈りのかたち銅製御正体(どうせいみしょうたい)
更新日:2016年3月23日
御正体とは、神様の体にあたる鏡に仏様の姿をあらわした鏡像(きょうぞう)で、懸仏(かけぼとけ)とも呼ばれています。神仏習合(しんぶつしゅうごう)の考え方が広まった平安時代から室町時代にかけて、盛んに社寺に奉納されました。
平安期には仏様を毛彫(けぼり)や線刻(せんこく)であらわしていましたが、鎌倉期になると半肉彫(はんにくぼ)りの仏様を鋳出(いだ)してつけたりするようになりました。
久喜市鷲宮1丁目にある鷲宮神社には、室町時代に奉納された銅製御正体が、社宝として二点伝えられ、昭和39年に埼玉県指定文化財になっています。二点とも、鏡の背面に奉納した人の名前や作成した年月日が刻まれています。(原文の一部を角括弧書きで紹介します。)
まず一点は、文安二年(1445)の銘で、直径23・7センチメートル、現在の加須市川口〔河口郷(かわぐちごう)〕の住人が、現在の鷲宮神社〔武州太田庄鷲大明神〕に奉納したものです。
もう一点は、長禄(ちょうろく)二年(1458)の銘で、直径22・8センチメートル、現在の加須市樋遣川(ひやりがわ)〔菅垂水郷(すがたるみごう)〕の住人が、鷲宮神社または別当大乗院〔武州太田庄鷲山〕に奉納したものです。
どちらの御正体も鏡面は鋳放(いはな)したままで、仏様の姿はありません。壁に掛けるための耳環(じかん)が二個付いていて、当初から鏡として活用するのではなく、奉納品として作られたものと考えられています。
日本の神様が仏様に姿を変えて現れるという本地垂迹思想(ほんちすいじゃくしそう)は、明治時代になると神道と仏教とを明確に区別し、仏教を排斥しようとする神仏分離(しんぶつぶんり)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって否定され、歴史から抹消されてしまいました。この二点の御正体は、このような歴史をくぐりぬけて、当時の人々の考え方を今もなお私たちに伝えてくれる貴重な文化財です。
銅製御正体
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