博士の処世訓
更新日:2015年1月26日
4 博士の処世訓
苦学の経験から生まれた処世術
本多静六博士は、日本最初の林学博士として、日本の造林学、造園学の基礎を築いた偉大な学者として知られるが、大学教授を退いてから後はむしろ、自らの著書、雑誌・新聞記事などをとおして、「処世の達人」「資産家」「慈善事業家」として広く知られた存在であった。
苦学生から身を起こした博士が、一人の人間として成功を収めた陰には、経験に基づく彼なりの処世術があった訳だが、これが広く社会に認められ、共感を呼んだのである。
経済の自立なくして自己の確立はない
博士の書いた『私の財産告白』(実業之日本社刊・昭和25年)は、出版当時、大変な話題となった。それは、一介の学者でありながら巨額の富を手に入れ、定年を迎えた際にそのほとんどを公益関係・育英関係の諸団体に寄附した博士の、財産に関する告白本であったからだ。
その中で博士は、偽善者の仮面を脱ぎ捨て、「財産や金銭についての真実は、世渡りの真実を語るに必要欠くべからずもので、最も大切なこの点をぼんやりさせておいて、いわゆる処世の要訣を説こうとするなぞは、およそ矛盾も甚だしい」という持論に基づき、自身の財産生活、つまり自己の経済について赤裸々に告白している。
この本の中で幾度も強調されているのが、経済の自立なくして、自己の確立(精神の確立)はありえない、という主張である。これは、博士がドイツ留学中にミュンヘン大学で出会ったブレンターノ教授の「学者であっても、独立した生活ができるだけの財産をこしらえなければならない。そうしないと、金のために自由を奪われ、精神の独立も生活の独立もおぼつかないようになる」というアドバイスによるものであった。
また、本多博士をその考えに至らしめた背景には、幼少時代から学生時代までの苦学の経験があった。貧乏ゆえに苦学し、時には学友に泥棒と疑われたこともあった。そのような深刻な苦痛と耐えがたい屈辱の経験から、博士は貧困からの脱却をめざし成功を模索し始めたのである。
ベストセラーになった著書の数々
勤倹貯蓄、そして投資
ドイツ留学帰国後、博士はミュンヘン大学で学んだ経済学を家計へ応用した。「四分の一天引貯金」を開始し、蓄財に励んだのである。
同時に、ブレンターノ教授の「財産をつくるための基本は勤倹貯蓄であり、貯金ができたらこれを有利な事業に投資しなければならない」というアドバイスに従い、貯めた金で株を買い、公共事業などへ積極的に投資も行った。
博士の「金を馬鹿にする者は、金に馬鹿にされる。財産を無視するものは財産権を認める社会に無視される」という考えは、財産の必要性を真正面から受け止めている。個人が信念を貫くためには、財産(金)が必要で、財産を手に入れるためには信念をもって蓄財に取り組む必要がある。それが世の現実であり、博士の処世訓が今なお高く評価されている所以でもある。
成功の秘訣は「職業の道楽化」にあり
本多博士は、成功、幸福への秘訣として、何よりも経済的自立を大前提としたが、さらにその心構えとして「職業の道楽化」を挙げている。
博士に言わせれば「職業の道楽化は、職業を道楽とすること、それ自体において十分酬われるばかりでなく、多くの場合、その仕事のカスとして、金も、名誉も、地位も、生活も、知らず識らずに恵まれてくる結果となるのだから有難い」としている。それは「すべての人が、各々その職業、その仕事に全身全力を打ち込んでかかり、日々の勤めが愉快でたまらぬ、面白くてしようがない」という境地のことである。
では、どのようにすれば、そのような境地にたどり着けるのか。その方法はただ一つ、努力にあると、博士は言い切っている。
「人生即努力、努力即幸福」、博士の最も得意とする教訓である。
どんな仕事でも、最初の頃はきつく、つらいものである。しかし、精進し努力を重ねていくことによって、いつしか楽しみを見出せるようになってくる。与えられた仕事に専念し、一つ一つ努力していくことが大切なのである。結果、人生の最大幸福である「職業の道楽化」を手にすることができるのだ。そして、その道楽のカスを生活の単純化によって貯蓄し、安心と満足が生まれ、ますます道楽に努めるようになるのである。
慢心を抑えつつ好機は逃さない
では、肉体的な努力だけで成功はたやすく成しえるものだろうか。
博士は、自身の八十年余りの人生経験に基づいた『処世の秘訣』の中で、社会経験の少ない青少年へ、いくつかの精神的な工夫を勧めている。その一つが「見栄を捨て生活を合理化する」ということである。日本人ほど見栄坊はいない。真の強者は、自助的な人格者でいわゆる独立自強、他人の厄介にならず独立生活してゆく人である。そのためにも極力、無理、無駄省き、自分の運命は自分で開拓するという強い信念を持つことである。志あるところ、道は必ず生まれるものであり、独立自尊の精神を生み出すものなのである。
同時に博士は、「慢心」についても注意を与えている。志をもって成功しようと仕事に取り組んでいても、一度成功すると偉くなったになって慢心し、大失敗を招くことがあると警告している。
さらに、機会(好機)は与えられるものでなく、自らの手でつかむものだとしている。慢心を押さえつつ、常に視野は広く保ち、好機は逃してはならない。チャンスは常に目の前を通り過ぎているものであり、努力(勉強)が足りなければ認識もできないし、決断が遅ければ通り過ぎてしまう。手に入れるには、細心の注意と明察力、そして果敢なる勇気が必要となってくるのだ。
常にプラス思考を保て
そして社会人として成功した際には、自分の成功だけではなく、人をも成功させ、もって社会的に幸福な人となるべきだというのが本多博士の持論である。
博士の論じる「幸福」とは、自分の望みがかなう状態をいい、他人が決めるものではなく、自分自身が決めることである。そこで大事なのは、幸福の比較をする際に対象とするのは他人ではなく、自分の中に置くことである。自分の生活が登り坂にあれば、それは幸福な状態であり、下り坂にいるとすれば不幸を感じるのである。同じ出来事であっても、心の持ちようで幸せとも、不幸とも感じられるものである。
常にプラス思考を保つように心掛ければ、状況は上向きに変わっていくものである。上向きである状態が幸福であると言えるのならば、幸福に上限はない。そして当然のことながら、幸福とは自分の努力・働きにより達成されるものでなくてはならない。ゆえに、努力とは一生涯絶え間なく継続すべきものであり、同時に自身に幸福をもたらす行為なのである。
流れる水のごとく、弛みなく強く生きよ
本多博士は、苦学生から立身出世を遂げた立志伝中の人である。終生努力主義を貫き通し、常に自助努力を怠らなかった。自ら考えた処世訓を最大限実践する中で、学問に、実業に、そして社会活動での成功を遂げたのである。
もし博士が、他の分野を志したとしても、必ずや成功を収めたに違いない。博士はどんな苦境にあっても、国家や政府に頼ったり、社会や自分の境遇を恨んだりはしなかった。ただ一つ、努力により解決しようと試みた。
「流れる水のごとく、弛みなく強く生きよ」という博士からのメッセージは、現代の我々にも今なお新鮮な響きをもって感じる言葉だ。自分に降り掛かってくる事柄全てを自然に受け入れ、問題解決に向け、全力で努力する。それは社会活動を営む上で、普遍的な動作であり、それが唯一の成功の秘訣と言えるだろう。時代が移り変わり、周囲や状況がどう変化しようと、問題を解決し乗り越えるのは、結局は自分の「努力」だというのが博士の処世訓の真髄である。
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