内藤正成の活躍(歴史資料でよむ久喜市ゆかりの人物ブックレット3)

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ページ番号1006327  更新日 2025年2月21日

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『歴史資料でよむ久喜市ゆかりの人物ブックレット』は、久喜市にゆかりのある人物について、歴史資料を取り上げながら、分かりやすく解説するシリーズです。専門家(監修者)による寄稿文、歴史資料の本文と現代語訳などを掲載しています。

人物

内藤正成(ないとうまさなり)は、徳川家康の家臣として主要な合戦に参加して活躍し、家康が天下を取るのを助けました。その功績から、後世に徳川十六神将の一人として数えられます。
三河国(愛知県)に生まれた正成ですが、徳川家康が江戸に入った天正18年(1590)、武蔵国埼玉郡に5,000石を与えられ、栢間村に陣屋を建てて移り住みました(現在の久喜市菖蒲町下栢間)。晩年、病気の際には徳川秀忠が侍医を派遣するなど厚遇されました。下栢間にある善宗寺には、正成の墓をはじめとした旗本内藤家歴代の墓が残されています。

発行年月日

平成30年3月30日

監修

吉岡孝(國學院大学教授)

電子書籍

刊行物の体裁

A5判・59頁

刊行物の価格

300円

刊行物の販売

文化振興課、郷土資料館、公文書館で頒布しています。

また、郵送での頒布も行っています。書籍の重さにより手続きや送料が変わりますので、詳しくは下記のページをご覧ください。

刊行物の重さ

87グラム

写真:内藤正成の活躍

目次

  1. 寄稿「内藤正成の活躍」
    第1章 内藤正成の家系
    第2章 内藤正成の活躍
    第3章 内藤家の地方支配
  2. 関係資料 解題
  3. 関係資料(現代語訳)
    一 『干城録』巻第百十二
  4. 関係資料(本文)
    一 『干城録』巻第百十二
    二 『寛永諸家系図伝』藤原氏丙十冊之内三 秀郷流
    三 『寛政重修諸家譜』巻第八百十一
  5. 主な参考文献

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このページに関するお問い合わせ

教育部 文化振興課 文化財・歴史資料係
〒340-0295 久喜市鷲宮6丁目1番1号
電話:0480-58-1111 ファクス:0480-31-9550
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。