第154回 川端康成(かわばたやすなり)の栗橋訪問

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ページ番号1008527  更新日 2025年2月21日

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明治から昭和初期にかけての小説家であった田山花袋(たやまかたい)(1872年から1930年)は、現実を赤裸々(せきらら)に描く自然主義の作品を発表し、近代日本文学の世界の中で、高い評価を受けています。その中でも、明治42年(1909年)に発表された『田舎教師(いなかきょうし)』は、貧困の中で苦悩し、最後は病気で亡くなってしまうという埼玉県羽生の代用教員の悲劇を描いた名作ですが、この作品は、羽生など埼玉県北東部を舞台にしていることが知られています。
昭和13年(1938年)4月、この作品の舞台となった地を、作家の片岡鉄兵(かたおかてっぺい)(1894年から1944年)、同じく作家の横光利一(よこみつりいち)(1898年から1947年)、そして後にノーベル文学賞を受賞することになる川端康成(1899年から1972年)の3人が、小旅行しました。
そして、片岡鉄兵が、その時の紀行文である「文学的紀行」を、文芸春秋社の雑誌『文学界昭和13年6月号』に発表します。
3人は、『田舎教師』の世界観を楽しむため、行田を見物し羽生で一泊しますが、その旅館に宿泊した際、横光利一が鯰(なまず)を食べたいと言ったものの、あいにく品切れであったため、「栗橋に川魚料理屋があるから、鯰はそこで食ふ」として、利根川堤(つつみ)に沿って栗橋に出る事を決め、栗橋で遅い昼食をとりました。
紀行文の終盤に、「栗橋の料亭いなり屋の、利根川を望む廊下に立つ二人の友の背(うし)ろ姿を見ながらから」とあることから、この昼食は栗橋の川魚料理の店「稲荷屋(いなりや)」であったことが分かります。
この紀行文は、世界的な文豪となる川端康成が、田山花袋に憧(あこが)れ、栗橋を歩いたということが分かる貴重な資料といえます。
なお、郷土資料館では、令和6年10月12日(土曜日)から令和7年1月19日(日曜日)にかけて、「第14回特別展栗橋関所設置400年記念栗橋の賑(にぎ)わいから松尾芭蕉(まつおばしょう)も川端康成もやってきたから」を開催します。
今回の「文学的紀行」をはじめ、栗橋関所や栗橋宿、栗橋宿の本陣(ほんじん)であった池田家に関連する資料や、栗橋を通った人物等をご紹介しますので、ぜひともお越しください。

写真:文学的紀行
「文学的紀行」片岡鉄兵著

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教育部 文化振興課 文化財・歴史資料係
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