第125回 明治43年の大水害を伝える記録「栢間(かやま)村水害誌」
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
明治43年(1910)8月、停滞していた梅雨前線と台風の影響によって、関東地方は記録的な大水害に見舞われました。埼玉県の被害は破堤(はてい)945か所、死者・行方不明者347人、住宅の全半壊・破損・流出1万8千147戸、床上浸水5万9千306棟、床下浸水2万5千232棟にものぼりました。
栢間小学校には当時の様子を克明に伝える「栢間村水害誌」が残されています。本資料は、栢間尋常(じんじょう)小学校の教員が、当時の栢間村(現在の菖蒲町上栢間(しょうぶちょうかみかやま)・菖蒲町下栢間(しょうぶちょうしもかやま)・菖蒲町柴山枝郷(しょうぶちょうしばやましごう))の被災状況と復興状況について記したもので、巻末には栢間村の被災状況を彩色し図示した「栢間村略図」が付されています。
記録によると、明治43年8月11日、大里郡大麻生(おおさとぐんおおあそうむら)村(現熊谷(くまがや)市)の荒川堤防が決壊したとの報(しら)せを受けて、村民は警戒を強めていましたが、午後2時頃に波が押し寄せると、作物や人家をたちまち飲み込んだとあります。浸水状況は最大で地上から7尺(約2メートル)まで及び、人々が家の梁(はり)や立ち木によじ登って、救助を待つ姿が見られたそうです。舟で助けに行こうとしても浸水のせいで家屋に入ることができず、屋根を破って人を救出したという非常時の被災現場についても記されています。
「栢間村略図」を見てみると、栢間小学校の周辺は高地になっており、大きな浸水は免(まぬが)れたようですが、その他の地域の大部分は「浸水大ナル地」として青く塗り潰され、村全体が大きな水害に見舞われたことを伝えています。栢間村は床上浸水460戸、床下浸水17戸という被害状況でしたが、奇跡的に死者は無く、「近隣相助ケテ一人ノ危難者ヲモミザリシハ、実ニ不幸中ノ幸(さいわい)トコソ言フベケレ」と記されています。
本資料は教育委員会で発行した文化財調査報告書第二集『栢間村郷土誌』の中に収録されています。水害の教訓として、ぜひ読んでみてください。
被災状況を図示した「栢間村略図」
参考資料
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