第138回 久喜ブランドの元祖 「くきのめぐすり」
更新日:2024年4月1日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
久喜ブランドの魅力は様々ありますが、かつて久喜といえばコレという、非常に有名なものがありました。「くきのめぐすり」と呼ばれた目薬です。現在の液体の目薬とは違い、中国の影響を受けた処方によるもので、練り薬をお米半粒ほど手の平に取り分け、ぬるま湯等で溶いて両目に塗り、薬がしみている間、目を休めるというものでした。
この目薬の木製看板が最近発見されました。「官許(かんきょ)」「くきのめくすり」「あらひ薬」「雲切(くもきり)かけ薬」「武州久喜中町」「宮本周説(しゅうせつ)調合」の文字があり、墨のかすれた部分まで丁寧に彫ってあります。「雲切」とは、雲が晴れ渡ったようにくっきり見えるということを表す言葉です。
この目薬を作っていた宮本家と考えられる眼科医のことが、文化9年(1812)から文政12年(1829)までの出来事をまとめた紀行文の『遊歴雑記(ゆうれきざっき)』に記録されています。この本には「久喜の町に名だたる眼療(がんりょう)の医師ありて久喜周琢(しゅうたく)久喜周了(しゅうりょう)といえる両家あり」と書かれており、仁術(じんじゅつ)を施したため、遠方から患者が群れをなし非常に栄えていたとあります。
また、『買物独案内(かいものひとりあんない)』という本には、江戸にある「くき本家妙方金明丹(みょうほうきんめいたん)くきのめいしゃ久喜周伯(しゅうはく)」という店が紹介されており、「久喜の眼医者」という言葉そのものにネームバリューがあったことが分かります。
このほかに、江戸の神田、浅草、日本橋や、青梅(東京都)、保土ヶ谷(神奈川県)といった地域でも宮本家の一族が眼科医をしており、「金明丹」「晴明散(せいめいさん)」といった「くきのめぐすり」を販売していたほか、現在の栃木県でも販売されていたことが分かっています。ちなみに、二宮尊徳(そんとく)(金次郎)が残した古文書にも「金明丹」を買ったことが記されています。
「くきのめぐすり」は、国が薬の製造販売を第二次大戦中に統制したことから製造終了となり、いつのまにか忘れ去られてしまいましたが、「くきのめぐすり」のように、これからも久喜ブランドの魅力ある品々が生まれ続け、輝きを放つことでしょう。
「くきのめぐすり」看板 (個人蔵)
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