第139回 栗橋の八坂(やさか)神社に伝わる彫刻奉納額(ちょうこくほうのうがく)
更新日:2024年6月12日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
栗橋北二丁目の八坂神社が、首都圏氾濫(はんらん)区域堤防強化対策事業により拡幅(かくふく)した土手の上に、令和3年(2021)に遷座(せんざ)しました。このとき確認された彫刻奉納額と狂歌(きょうか)奉納額について、2回にわけて紹介します。
今回紹介する彫刻奉納額は、明治8年(1875)6月に奉納されたもので、「東京彫工(ちょうこう)嶋村(しまむら)十代唐四郎俊明(とうしろうしゅんめい)作」と刻(こく)されていることから、幕末から明治期にかけて活躍した島村俊明が作者であることがわかります。「唐四郎」は、俊明の本名です。俊明は、浅草(東京都台東区)で代々続く宮彫師(みやぼりし)の家の十代目として生まれ、16歳で両国(東京都墨田区)回向院(えこういん)の欄間(らんま)に十六羅漢(らかん)を彫るなど、若い時からその技量は広く知られていました。
俊明の生まれた年が安政2年(1855)と伝えられていますので、この彫刻奉納額は、俊明数え20歳の時に制作されたことになります。
現在も拝殿(はいでん)に掲げられているこの額は、外枠も入れると横182センチメートル×縦108センチメートル×厚さ11センチメートルという大きなもので、一枚の欅(けやき)の木を彫りこんで立体的な形に仕上げるなど、まさに江戸の伝統技法を踏まえた超絶技巧(ちょうぜつぎこう)ともいうべき出来栄えです。また、背景には金箔も施されていたようです。世話人3名のほかに、施主(せしゅ)と思われる人物12名の氏名も刻されています。
彫刻で表現されているのは、左側には松の木が、右側には八坂神社の拝殿とみられる建物と参拝者らしき人物2名が確認できます。中央は、親方らしき人物が差配(さはい)しながら、足場を組んだ上で、羽織を着た職人たち14名が地固(じがた)めを行っている様子であろうと思われます。
当時一流の職人であった島村俊明の若き日の貴重な木彫(もくちょう)を現在に伝えています。
明治8年の彫刻奉納額
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