第153回 久喜市の和算(わさん)の文化を伝える 大崎神社(おおさきじんじゃ)の算額(さんがく)
更新日:2024年9月9日
問い合わせ先:文化振興課文化財・歴史資料係
菖蒲町上大崎の大崎神社(おおさきじんじゃ)には、色とりどりの円やひし形が組み合わさって描かれた額があります。これは「算額」と呼ばれるもので、図形問題3問とその解法が記されています。
算額は、江戸時代の日本で発展した数学である「和算」をもとに作成した問題を、額や絵馬に記して神社仏閣に奉納するものです。算額奉納の風習は、江戸時代初期から始まり、その後、全国的に広まりました。難問を解くことができた喜びを神に感謝するため、あるいはその実力を参拝者に広く伝える目的で作成されたと考えられています。
大崎神社の算額は、上大崎出身で、関流(せきりゅう)の都築(つづき)派に師事する大川兵之助治明(おおかわひょうのすけはるあき)が明治33(1900)年に奉納したものです。関流は、和算の大家である関孝和(せきたかかず)から始まる教えを受けた和算家を指し、個々の流派ごとに普及活動を行うようになりました。都築派は、北埼玉郡種足(たなだれ)村(現加須市下種足(しもたなだれ))の都築利治(つづきとしはる)や後継者の利長(としなが)を中心に広まり、多くの門人が加須市内外の神社仏閣に算額を奉納しています。前述の大川も、明治31年(1898)に他の門人と連名で、さいたま市の氷川神社に算額を奉納しています。また、秩父市の秩父神社や鴻巣市の三ツ木(みつぎ)神社の算額には、菖蒲町新堀や小林出身の門人が名を連ねていることから、和算を楽しむ文化が都築派を通じて久喜市にも伝わっていたことが確認できます。
こうした和算家たちが活動していた明治~大正期は、政府が日本の近代化を目指すため、義務教育に西洋数学を取り入れるなど、和算が徐々に衰退し始めていました。しかし、それ以降も算額は奉納され続けており、『埼玉の算額』(昭和44年発行、埼玉県立図書館編)によると、県内の算額は江戸期のものが65点に対し、明治期のものは39点確認されています。算額は、時代の潮流とは関係なく、師匠や仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)し和算を楽しもうとする人々の姿を、現代に伝える資料だと言えます。
算額(大崎神社所蔵)
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